好きですゴリラ

音楽と読書のデザインとハロープロジェクトの話

世界が「少ない」頃の悩み

 

とにかく運動が苦手なので、小・中学生の頃は学校が本当に嫌だった。

運動できない人が注目を浴びる羽目になる授業のシステムが怖い。週に2回は体育の授業があったし、運動会やマラソン大会は当日以外の練習もたくさんあったから、小学校6年間の7割は憂鬱な気分だった。

体育の授業が憂鬱なんだけど、体育までの時間も「今日は体育がある」という考えに支配されて辛かった。

 

小学生の頃、お勉強は進研ゼミの教材を使っていた。早く遊びたかったので、気が向いた項目だけ取り組んで残りは親の目を盗み終わらせたふりをすることが多かった。時々「ちゃんとやってる?」と聞かれて、焦りながら丸つけしたページだけを見せて、他のページは色々理由つけて見させないようにしたりしてやり過ごした(多分やっていないのはバレてた)。

そんなことを続けながら「私がいない時に冊子を見られて、今まで嘘をつき続けていたことがバレてしまうんじゃないか」という不安と罪悪感が常につきまとっていた。

 

他にも、小さい時は何かしらの悩みに一日中鬱々と支配されていて、気持ちが解放される瞬間が少なかった。

「小さい頃は何も考えていなくて幸せだったなあ」と思い返すことは一度もない。自分は思慮に富んだ賢い子だったという意味ではなく、それを受け入れる自分の世界の数が少ないから、くだらないことでも真剣に考えざるを得なかった。

 

私の成長って、狭かった1つの世界が時間をかけて広くなるというよりも、入り口の違ういくつかの世界が増えて行って、時々それが偶然別の世界と繋がって拡張するってイメージ。世界って言葉は、スタッキングできる器とかモジュールの揃った収納とかにも置き換えられる。

 

1つ1つの悩みの大きさは小さい時の私にも今の私にも変わらないけど、それを受け入れる自分の世界の数が多くなったから、1つの悩みに支配される範囲が少なくなった。

あと、その悩みを受け入れた世界が別の世界と繋がっていれば、その悩みは小さくなって、自由に動かして発想を転換させられるようになった。

 

小さい子はみんな昔の私みたいに一日中悩んで苦しんでると思うけど、悩みの小ささを説明するより、別の世界の入り口を一緒に探してあげたい。

私の中に増えた世界を整理して地図を描きながら、小さい子と一緒にその地図をまんべんなく巡って、新しい世界の入り口を探す作業、が私の目指すデザイン